昔の手拭い。 [作品(瓦のこと)]
昨日、ばあちゃんが、押入れの片付けをしていると、
こ~んなのが出て来たんだってさ
昔のお年賀手拭いです。
この中に、ありましたよ、ありましたよ!
当社、山田瓦店の60年前と、50年前の手拭いが・・・・
ほ~ら!じゃ~ん
UPで
中をご覧下さいませ!じゃ~ん!60年前
50年前
見て見て、ボンネットトラックだよ~ん!(笑)
こ~んなのも出て来ましたぁ!、私のおじさん家の瓦屋の手拭い
今思えば、この頃が、埼玉、深谷瓦の全盛時代!
巨大消費地東京に近く、作りさえすれば売れた時代でした。
そだ!この際だから、深谷瓦について、私の知っている事を
書いちゃいます。
元々、深谷地方は、瓦を作るのに、適した、良質な粘土に恵まれていました。
その後、昭和30年代に入り、真空土練機が入りました。
昭和40年代になると、トンネル窯なるものが導入され、深谷でも、
いぶし瓦から、量産出来る陶器瓦製造に切り替えた窯元が11社ありました。まだまだ、売れた時代です。
ここで、重大なミスがありました。
そうです。巨大消費地東京!三州瓦(愛知県)は攻めて来ない!!
っと、過信した考えがありました。
実は、三州瓦は、関東に持ってくると、凍て(いて)てしまったのです。
これは、関東と、関西の、土質の違いによるものです。
それと、湿気の問題です。
本来は、土から出来ている瓦、その土地、その土地の気候風土
(暑さ、寒さ、湿気、雨)を知っている、ので、その土地の土で、出来た
瓦が、その土地で使用するのに一番適していると言われて来ました。
愛知県と、埼玉県、運送代にも大きな差があります。
その後、昭和48年のオイルショックを経て、昭和50年代に入ると、
ガス窯が、導入され、温度が上げられるようになりました。
そこで、さっすが、三州瓦、焼き切る温度、1150度を見つけちゃいました。
ちなみに、深谷瓦は、960度です。
あのね♪土と言うのは、その土、その土によって、焼き切る温度が
違うのです。
焼き切ってあれば、凍害の心配はなくなります。
960度から、1150度まで、温度を上げるのは、かなりの燃費がかかります。
それと、輸送のリスクまで背負って、関東進出!です。
血の出るような、研究と、努力の賜物です。
だから、こ~んなに苦い経験から、三州瓦には、このように、
耐寒保証!耐寒保証!って、書いてありますのよ~ん!
ここで、作りさえすれば売れた時代を経験した。ましてや、低温で、
焼き切る土を持っていた、お坊ちゃん育ち!
努力と、研究をする必要がなかった、付けが、てき面に出ちゃいました。
陶器瓦は、陶器瓦で、温度が違うのに、釉薬の研究を怠って、
三州のフリット(釉薬)をそのまま、使い、最長、25年で幕を閉じました
いつの時代も、常に、冷静に、見つめ、業にほれ!日々精進しないと
いけないなぁ!っと、勝手に、昔を思い出し、つくづく思いましたぁ!
今更ではありますが?数十年前に、深谷瓦、日本一低温で焼き切る
お肌に優しい日本瓦!を、訴えたのに、駄目だ!駄目だ!
そ~んな、みっともない事は出来ない!1000度と言っちゃお~っ!
っと、却下されちゃったんですよ!
低温の魅力だってあるのにね♪(低温ならば、肌が、荒びないのよん)
そこの所が分からない抵抗勢力が、今の状況を物語ってます。
本物を、自信を持って勧める!それでいいじゃね~か!ば~か!(笑)